相良家文書は、中世から江戸時代にかけての貴重な文献として、慶応大学・広島大学・熊本県立図書館に所有されています。残念ながら幸野溝開鑿の顛末は未記載でしたが、享保十三年(1728)の「明細格録」(相良家文書34巻)に、「新田開発」に関する記載を見つけ、「宝塚の古文書を読む会」の協力のもと現代語訳しました。
一 新田開発之事
一 新田見立開作於相願者、其地形於不成障碍者、達其趣、可被申付、新地者二年無年貢、従三年目遂内検、年貢御蔵納、或畠地於成水田ニ者、其年ゟ掛リ来所々畠銀御蔵納、三年目ゟ内検年貢納之、畠銀者、可被
引新田開作之所、米銭入令失墜、普請相調候所、弐ヶ年之無年貢ニ而難成旨、於訴之者、各見分之上、達其旨、年貢納方之年数可被究之、公義普請ニ而新田開作者、其年ゟ内検之上、年貢可相納御蔵納方、又者引分之儀従勘定所入内検可被相究事、
一 在々所々井手川除溝水門普請之儀者、於被達其旨者、、奉行可被仰付、大破之時者、各仲ヶ間可被相勤人足、飯米之儀ハ、奉行人以証文自勘定所払手形可被出之事
[現代語訳]
一 場所を見定めて新田開発の願いがなされたときは、その地形や外観を検査する者が見届けて、古田・畠地への支障や水害の障害がない場合は、その趣旨を申し付けるべきである。
新たに開発した場所は二年間年貢を掛けず、三年目から内内に取り調べ、年貢を藩の御蔵に納めさせる。畠地を水田に転換した場合は、その年から畠地の年貢を御蔵に納めさせ、三年目から内内に取り調べ、水田分の年貢を納めさせ、畠地分の年貢は引き下げる。
新田開発に米銭の経費を掛けて、普請などを行ったために、二年間の無年貢では採算が取れないような訴えがあれば、それぞれ現場を見たうえ、その趣旨を汲んで年貢納入を始める期間を決めるべきである。
藩の費用によって新田開発をした場合は、最初の年から内内に取り調べた上で、年貢を納めさせる。御蔵への納入、また割り引く場合は、勘定所が内内に調べた上で、決めるべきである。
一、 在々諸所で井手・水害防止施設の川除、溝、水門などの普請は、その旨は奉行が命じるべきである。大破した場合人足仲間から人足を出す場合、人足の飯米は、奉行人の証文で、勘定所より払手形によって飯米を出してもらうようにする。