祝! 「疏水百選」「日本遺産」「世界かんがい施設遺産」  ~ 幸野溝完成1705年(宝永2年) ~

ご祭神「高橋政重公」(動画付き)

 江戸時代のはじめ、人吉球磨地方を治めていた相良藩は新田開発に熱心でした。藩は高橋政重に、水を引いて田んぼにできる土地がないか調査するよう命じました。政重は現在の湯前町・多良木町・あさぎり町岡原一帯に広い荒地があることを藩に報告し、藩は政重に用水路を作ることを命じました。元禄九年(1696)、政重が数え年47歳の時でした。

 工事は球磨川を堰き止めて水を取り入れる「堰」の建設と、水路を掘る工事、そして荒地を田んぼにする工事の三つがありました。このうち水路を掘る工事は一・二年でほぼ完成しましたが、堰の建設は難航しました。苦心してようやく完成するかに見えた矢先の元禄十二年(1699)六月二十日、球磨川は大洪水に襲われ、堰は流されてしまいました。そしてようやく復旧工事が終わり、今度こそと思われましたが、二年後の元禄十四年(1701)五月十日には、再び大洪水に見舞われ、堰は根こそぎ流されてしまいました。

 二度続いた工事の失敗は、政重ならずとも大きな期待を寄せていた農民にも大きなショックでした。このためせっかく掘った水路や田んぼは三年間ほど放置されたままになっていましたが、政重は再び立ち上がりました。しかし、藩は工事再開の資金を出すことを渋りました。そこで政重は私財を投げ出すとともに、村々を歩いて用水路が必要なことを説き、資金集めを始めました。この時政重は、日頃から信仰する十一面観音様を背負って一軒一軒訪ね歩いたと伝えられています。

 こうした努力は藩にもようやく認められ、宝永ニ年(1705)三月に工事が再開されました。この時、政重は三度目の幸野溝開削の大工事を起こすに当たり、心秘かに神様に祈念し、「この大工事が完成した暁には、必ず御社を建て子々孫々に至るまでお祀り申し上げます。尊い神様の御加護を受けさせて下さいませ。」と、清いこころの一念で工事に取りかかりました。お陰でそのとしの十二月には相次ぐ苦難を乗り越えて完成しました。

 用水路の名称は、取水している土地の名をとって幸野溝と名付けられました。政重が最初に工事を手掛けてから十年目のことでした。 政重は、翌年(宝永三年 1706)九月二十二日に天神社を創建し、観音堂に十一面観音を入仏させました。これが今の多良木天満宮と浄土宗福田寺の始まりです。 

 相良藩は大変喜ばれ、お祭りの次第は青井阿蘇神社の祭式に則って行うことになりました。多良木天満宮の例大祭は、旧暦の九月二十五日に定められました。現在は十月二十五日に催行されています。 古文書によると、宝永四年(1707)に新田水神の脇に稲荷社を草創したとあります。

 政重は享保十一年(1726)に、数え年77歳で亡くなりました。多良木天満宮に隣接する福田寺には、政重の位牌と墓碑があります。「巨嚴玄霊居士」偉人の徳を慕う村人が、人吉の菩提寺(浄土宗大信寺)とは別に建立したといわれています。

 政重の長男吉重の代になって、寛政元年(1741)天満宮宝殿拝殿が完成しました。この時、相良藩第二十三代相良頼福公より、杉21本松8本をご寄進頂いています。古文書には、北野天満宮より勧請したとの記載があります。

 幸野溝は、平成十八年(2006)に「疏水百選」、平成二十七年(2015)に「日本遺産」、翌年「世界かんがい施設遺産」に登録されました。多良木天満宮境内には、登録を祝う記念碑が立ちました。

 それにしても幸野溝の技術力と、政重の執念には驚嘆させられます。例えば、取水口から約3km下流の台地をくぐる、三本の隧道(トンネル)の総延長は2362m。郷土史家の故渋谷敦先生によると、江戸時代を通じて日本一とされる箱根用水の隧道は全長1280mにすぎません。明治政府が威信をかけて京都に建設した、琵琶湖疎水の隧道も幸野溝をわずか74m上回るだけです。幸野溝の隧道の天井には、「合掌組み」の石柱が整然と続いています。300年以上に亘り落盤を防ぐ石組は高度な技術力の証です。

熊本県教育委員会(制作著作) 熊本放送(制作)道徳教育用郷土資料「熊本の心」より

 

 政重は事業着工前後に、妻と娘を亡くしています。多良木天満宮第15代神職 宮原信哉は、奔走する政重の鬼気迫るとともに神懸かり的な姿を、思い描かざるを得ません。戦後、溝は延長され全長約28kmとなりました。幸野溝から拡がる広大な田園風景は、政重と彼を信頼し裏切らなかった相良藩、そして何よりもクマソの子孫でもある、人吉球磨地方の農民たちの、血と汗と涙の結晶であり、彼らが築いた最高クラスの傑作であると思います。

 十年の歳月をかけた、天下に冠たる政重の「元禄・寛永の大プロジェクト」に、胸が熱くなりました。

7・4大洪水を心に刻む
〜高橋政重公顕彰歌〜

1 望みし市房神の山 流れ激しき球磨川に
 尊き心沸き起こり 築きし疏水幸野溝
 元禄宝永の大事業 三本の隧道難工事
 最新技術使い切り 山を手掘りて水通う

2 四里の流れは千町田に 黄金の稲穂実らすや
 衆人集いて村をなし 新田村は鳴り響く
 岩を突き抜く雄心と 挫けぬ思い神懸かり
 十年の辛酸舐め尽くし 政重公は神となる

3 祀り社ぞ天満宮 お米お水は世の宝
 独立自尊の大先輩 我らは誇る球磨の人
 公の偉業を永遠に 語り継ぐるは世の務め
 あぁ有り難や幸野溝 
 あぁ有り難や政重公
 あぁ有り難や相良公

作 第十五代多良木天満宮宮司家神職 宮原信哉