祝! 「疏水百選」「日本遺産」「世界かんがい施設遺産」  ~ 幸野溝完成1705年(宝永2年) ~

さすが!!世界に誇る幸野溝!!

❶新貫(真っ直ぐなトンネル)開削で使われたと推定される江戸時代のコンパス

【解説】湯前町古城台地では、コンパスを用いて新貫が直線的に開削されたと推定される。
1958年に幸野溝を調査した郷土史家故渋谷敦先生は、新貫開削にはコンパス使用の可能性を示唆し、「上流と下流から直線的に開削した結果、合流部分には上下の落差があった」と述べている。
水上村幸野地区の伝承では、薩摩藩の石工が用いたコンパスは、幸野溝が完成した際、別れの品として村人に贈答され大切に保管された。
昨年(2025)逝去された歴史研究家H氏は、1950年代に村人よりそのコンパスを贈答され大切に保管した。
なお渋谷調査では、旧貫1451m・第3の貫247m・新貫664mで総延長は2362m。

❷新貫での土砂崩れ対策

【解説】合掌石組み作りによる新貫は、土砂崩れや水漏れ対策は万全。
新貫は市房ダム開設に併せて補修され、現在も大切な水路として活用されている。
(写真は補修前の合掌石組み)

❸幸野堰の一生(1698年〜1960年)

※解像度が低い画像を補正しているため、文字が実物と異なる箇所があります。イメージとしてご覧ください。

【解説】
①元禄幸野堰
1698年に完成するも1701年5月の大洪水で崩壊。横堰のみ。

②宝永幸野堰
1705年12月に完成。横堰と縦堰。

③大正幸野堰
1925年に宝永堰を補修しコンクリートで固めた物。

(市房第2ダム取水口)
ダム完成に伴い、1960年に取水口は下
流に移動し、幸野堰はダムに沈んだ。渇
水時には堰が顔を出すこともある。